1)礼状 90.7.24

 「こないね」「そう、こないね」。三月末、わが家にホームステイしたカナダの高校生JENNIFERから一向に届かない礼状に、あきれたり怒ったりの母子の会話だ。もう何度、聞いたことか。

 心細い異国で二週間も同じカマのめしを食べたのだから「礼状が来て当然と考えるのは、日本人的な考え方なのか」と問う娘に、「そんなことはない。感謝の気持ちを示すのに、日本人もカナダ人もない。思考パターンは同じはず」と答えながら、国際交流の難しさを痛感させられた。

 昨年の三月、同様にホームステイしたラビンダーからは「祖母のいるイギリスに滞在中」とか「サンフランシスコから美香へ」などと、折りに触れ航空便が舞いこむものだから、落差は大きい。今年、他の家庭にステイしたジョンやキムからも 「美香、元気?」と嬉しい便りが届くので、よけいにカッカしている。妻は「要はズボラなだけ。うちのお兄ちゃんと同じじゃない」と意に介さないのだが、高校三年の娘心はまっすぐだ。

 もっとも、この稿を何日かかけて書いている間に逆に昨年ホームステイさせてもらったアメリカの「ママ」から小包が届いてニコニコしているのだから、現金なものだ。


2)たばこ 90.7.30

 最近、駅の雑踏などでたばこを吸いながら歩く人が気になって仕方がない。電車のドアの開くのを待ちかねたように火をつける。そんな輩(やから)の後ろについて階段を降りると、まともに顔に煙を浴びてしまうから、朝から気分の悪いこと。「たばこを吸うやつは無神経なのが多い」と、ハラの中で毒づくことになる。

 たばこを吸う人すべてのマナーが落第というつもりはない。しかし、通勤時に観察していると、新しいたばこの封を切って包装紙をポイと足元に捨てる人、駅のホームで二、三歩のところに灰皿があるのに線路に吸い殻を投げる人、火のついたたばこを平気で振り回しながら歩く人、ピカピカに磨き込まれたホテルの床に吸い殻を無造作に捨てる人など、愛煙家の行儀の悪さにいくらでも出くわす。信号待ちで車の窓から灰皿をぶちまける風景に遭遇すると、これはもう悲しくなってしまう。

 かくいう私も昔はたばこを吸っていた。40代になって5、6年禁煙が続いただろうか。今は禁煙とまではいかないが、夜、仲間と酒を飲んだ時に仲間のを一本失敬して吸う。これは、うまい。だから根っからの嫌煙家ではないけれども、愛煙家のマナーの悪さには目を覆いたくなるから、困ったものだ。


3)ハンコ 91.2.13

 クレジットカードの振替口座変更の手続きを依頼していたところ、「新しい銀行口座の届出印と違う」との理由で、書類が返されてきた。

 仕方がないので御堂筋のS銀行本店まで出かけて届出印を調べてもらった。結論は、どうやら当方の勘違いらしい。「どうやら」というのは、同時に作った同じ印影のものが二つあって、自分でも見分けるのがむずかしいのだ。それを見破った銀行さんには正直言って感心した。

 しかし、一方で「ここまで厳密にチェックする必要があるのか」という、腹立たしい気がしないでもない。本人が本人名義の口座から振替決済したいというお願いなのだから。まして先に依頼した固定資産税の振替口座変更手続きは「違う」印鑑で無事すんでいるのだ。

 何でもカードの時代。現金の出し入れにハンコを使うことはまれになった。国際社会ではハンコよりサインがものをいう。それでも、折りにふれハンコの存在を意識させられるのである。


4)押しボタン信号 91.2.14

 毎朝、新伊丹駅まで自転車で通う途上、必ず押しボタン信号のある横断歩道を渡る。県道で交通量は結構多い。通常、車側は黄色の点滅、つまり徐行信号で、歩行者側は赤だ。

 杓子定規に行動するなら押しボタンを押して歩行者側が青になってから渡る。しかし、それでは一人、二人の横断のために車の列を止めることになる。大抵ずぼらを決め込み車の切れ目を狙って渡ることにしているが、運の悪い時はこの切れ目がなかなかできない。「ちょっと止まってくれれば」といつも思うのだが、ほとんどの車が思案にくれる自転車を横目にぶっ飛ばしていく。黄色の点滅信号の意味も知らぬげに。

 私はやむなくボタンを押す。ここで歩行者側の信号が青になったからといって、あわてて渡ってはいけない。車道側の信号が黄色の点滅から赤に変わっているのに突っ切る車が多いのだ。止まってくれても、うらめしげな表情で自転車の私を見るドライバーのなんと多いことか。わずか数秒の赤も待つ身にとっては長く感じられるということだろう。


5)眼鏡 91.3.8

 大阪駅前第2ビルにある「めがねの帝王」を訪ね、2年前に初めて注文してつくった読書用眼鏡(簡単に言えば老眼鏡?)のレンズを交換してもらった。先月、携帯用の安物を買ったところ、やはり度が進んでいるのがわかったからだ。

 2年前も買うまでに時間がかかったが、今回も決断するのに結構日が経過した。通勤の電車のなかで、わざわざポケットから眼鏡を出してかけるだろうか。結局、持って歩くだけではないか。すぐに壊してしまうのではないか、などと考えたためだ。

 しかし、会社に眼鏡を置いて帰ると、家では活字を読まなくなってしまう。着実に度が進んでいくだろうから、やっかいだ。眼鏡をかけるとテレビと活字の「ながら族」ができなくなるので、不便なこと極まりない。テレビにウエートを置くと、活字がおろそかになるし、活字にウエートをかけて眼鏡をかけるとテレビがぼやけてしまう。二つの眼鏡を持ち歩く近眼の人に比べると、ぜいたくな悩みだろうが・・・。


6)50年 91.12.8

外国人は初対面の相手に年齢を尋ねることは滅多にないが、仮にアメリカ人に「1941」と答えると、どんな顔をするだろうか。「真珠湾攻撃の年」である。

 50年目の12月8日を迎えて、テレビも新聞も「パールハーバー50年」一色だった。昔の人は人生50年と言ったが、平均寿命の伸びた今、その意味合いは人生の大きな節目という風に変わってきた。私の人生50年は当たり前だが、ちょうどパールハーバー50年に重なって特別の意味合いを感じさせるものになったように思う。

 終戦の年が4歳。そして大阪空港があったから、度重なる空襲警報と父親に横抱きにされて防空壕に逃げ込んだ記憶はある。床の間には天皇、皇后両陛下の写真が飾ってあったことも覚えている。しかし、戦争は怖いものだという記憶はあまりない。その意味では、戦前生まれとはいえ戦後っ子と変わりはないのかもしれない。

 いま息子は22歳、そして娘は19歳。娘はアメリカにホームステイすること、ふた夏。パールハーバーについて問えば、遠い過去の出来事と片付けられるのは目に見えている。


7)Kathyと年賀状  96.12.19

 オーランドにいる娘の現地ママ、Kathyから恒例のレターが届いた。先日、E-mailで元気な娘とディズニーランドでデートしたことを、ほのぼのと伝えてくれたばかりだが、クリスマス前のレターのヘッダーは「Dear Family and Friends:」とあるように、たくさんの彼女の友人に出す、日本人でいえば年賀状のようなもの。

 「Merry Christmas」のファッション・レターではなく、A4の裏表にビッシリと字が詰まっている。96年の総括から始まって、克明に月々のレポートがつづられている。各セクションには必ず友人の名前が出てくる。9月の項には「We also had very brief visits from Ryoko and Mika in September」と、娘の名前も登場して日本の親ばかはうれしくなってしまう。

 ひるがえって、今年も年賀状の印刷をすませてしまったが、Kathyの手紙を見て、改めて考えさせられた。葉書のスペースは限られているけれど、来年は少しでもKathy流を真似してみようと思う。


8)記事とURL

 雑誌はもちろん日刊新聞紙上に、インターネット関連の記事が出ない日はないといってもよいだろう。それほどインターネットは生活に密着した存在になりつつある。かくいう私もホームページをこしらえて「憂楽日記」などを書いて遊んでいる。

 そこで気になるのが、インターネット関連記事をすみからすみまで読んでも、ホームページのアドレスが載っていないこと。常識で考えればホームページを紹介して「さあ見ましょう」という記事なのに、アドレスがないなんて欠陥記事もいいところだ。先日も古巣の紙上で「えびす様もホームページに」という大見出しの記事にアドレスが載っていなかった。

 昔は新製品の紹介記事に「広告じゃあるまいし、わざわざ電話番号まで入れることはない」などという意見が通ったこともあったが、インターネットのホームページについて言えば、是非論など起こることがおかしい性質のものだ。古巣の現役さんも見ているので、新聞の悪口はこれくらいにしておこう。


9)職ハラ      96.12.22

今日のNHK「クローズアップ現代」を見ていたら、最近、人減らしを目指す企業で「セクハラ」ならぬ「職ハラ」が多いそうだ。今年54歳6ヶ月で繰り上げ定年退職した私としては、身につまされる話だ。

といって、私が職ハラされたのではない。番組で実例として紹介していたのは、特定の社員を陰湿にいじめて、退社するように追い込む、企業としてはまことに情けない人減らし法である。自己都合だから退職金も少なくてすむ。人減らしは堂々と理由を明示して、割り増し退職金を払ってというのは、いまや世間体を非常に気にする企業しか採らない方法なのだろうか。

「世の管理職よ、団結せよ」と呼びかけて管理職組合が結成された話を、いつか聞いたことがある。在職中の管理職さん、頑張ってください。


10)MさんとE−mail  96.12.27

 アメリカ・サンディエゴのMさんとは、彼が日本にいたころから年賀状のやりとりが続いており、今年もお年玉付き年賀ハガキを封書で送った。ところが、先日、Mさんから「年賀状を受け取りました」とのE−mailが届いた。Airmailが速く届いたのにも驚いたが、インターネットの普及と便利なことに、改めて感心した。

 実は今年3月にパソコン通信を始め、定年退職の挨拶状にニフティーのアドレスを書いておいたところ、約10人からメールが届いてビックリした。その後インターネットにも手を出して、名刺や手紙にインターネットのアドレスもかくようになったら、その反応は国際的になった。

 Mさんとは太平洋をまたいでインターネット・メールの交換が始まった。年賀状なら1年に1回交換するだけで終わるのに、メールには頻繁に近況を知らせ合うことができる手軽さのあることがわかった。FAXとも違う、独特の味があるような気がする。インターネットの楽しさはホームページだけではない。_


11)電子DM     97.1.18

 先日、電子メールをダウンロードしていたら、「日本○○○」という会社からDMが来ていた。「超格安ソフトのご案内」で、「海賊版でも体験版でもない本物」といった趣旨の説明もついている。

 たしかに「本物かな」と疑いたくなるほど安い。興味のある人は「こちらを」と、ホームページのURLが書いてある。しかし、WWWをのぞけない人はここまで、である。メールには会社名はあれど、住所も電話も載っていない。それなのに「代金の振り込みを確認次第、商品を送る」とある。これで、信用しろというのだろうか。

 郵便でも随分タイミングのいいDMが結構来る。娘が20歳になる前には呉服屋さんから、受験になると予備校からとか、名簿屋さんが暗躍しているのだろう。電子メールDMの宛て名を見て、私の加入しているプロバイダーが「関係しているのか」と問い合わせてみたら、「ホームページを公開している人にはメールを送れる。当社は関係ない。困るのなら抗議されたら」との回答。

 さっそく日本○○○に抗議メールを送ったが、期待?どおり返事はない。電脳時代になると、これくらいのことはガマンしなければならない、ということか。


12)PHS  97. 1.25

 いまの仕事を始めて20年近くになる妻が、ある日「ポケットベルがいるんだけど」と珍しいことを言う。外を飛び回る仕事がら、携帯電話慣れしたお客さんに「連絡が取りにくくて困る」とボヤかれたのが、理由だそうだ。

 携帯電話が嫌いな妻のこと。せめてポケベルをと言うので、幸い退職後引き出しの中に眠っていたポケベルの復活手続きをすませる。ところが、数日後「ベルを解約して電話にする」と言う。聞けば、お客さんから「いまどきポケベルなど遅れてる」と、またまたクレームを頂いたそうだ。

 それではと、ヒマな私が近所のパソコン・ショップへ。携帯かPHSかで迷ったが「受信しか使わない」ということで、基本料の安いPHSにした。再び、ところがである。これが大阪市内でもサッパリ役に立たない。お客さんには「PHSなどオモチャ」とからかわれるし、ポケベルの契約即解約で損はするし、「泣き面にハチとはこのことよ」と、妻。

 店員さんに受信エリアなども確かめてPHSにしたけれども、まだ発展途上のPHSに携帯電話と同等の性能を期待したのが無理だったのかもしれない。この分野では「コストと効能」という経済原則が厳然として生きているという教訓というよりも、我が家では笑い話であった。


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