20)広 慶太郎さん    98.10.20

 クボタの広慶太郎さんが亡くなった。広さんには、駆け出し記者の20歳代のころから、お世話になった。 専務時代だったと思うが、北浜担当の時は相場観について、電話でも気軽に的確に活字になるように、いつも 話していただいた。重宝で、ありがたかった。元先生らしく、若い記者にもベテラン記者にも分け隔てなく 几帳面に接しておられた。

 先日、大阪駅前第2ビルの喫茶店に立ち寄って、ママと広さんの思い出をしんみり話した。このママは 若かりし頃は北新地で頑張っていた人だが、多くの財界人が出入りしていた。あるとき第2ビルで「おでんや」 に転向、社長を辞して70代になった広さんも時々顔を出していたという。この店では、広さんと出くわしたことは なかったが、たまに新地の某ビルのエレベーターを待つ広さんを見かけたことがある。「これから、あんまだよ」と、 ニコッとされたのを、いまでも覚えている。

 西宮のお宅にも何度か「招かれざる客」で押しかけた。その後、大阪の経済部長になった若かりし頃のS君と 一緒にマイカー(軽自動車)で夜討ちして、留守なので伊丹の我が家にUターン、腹ごしらえをしてから、また 軽自動車で出かけたのは、ついこの間のようだ。電気釜をアッという間に空にしたS君に、妻が「若いっていいね」 と言ったセリフ。これもまた、記憶から消えない。広さんの因縁でもある。

 心から、ご冥福を祈りたい。 


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