18)日航事故と三光汽船     98.8.12

 500人以上の犠牲者を出した日航機墜落事故は、12日、14回目のあの日を迎えた。あの日、私は会社更生法申請が確実になった三光汽船の関係者の車を追走していた。追っかけている人物の宝塚の自宅に間もなく到着しようかというころ、社のデスクから電話が入った。「日航機が墜落した。経済人も乗っている可能性がある。至急、社に戻れ」という。ここで三光汽船事件は放り出して、車をUターンさせた。

 まず日ごろ我々が接触している経済人がいないか、乗客名簿の点検を始める。次々に面識のある人の名がピックアップされる。取材で会ったことのある人が次々と。公私ともに親しくしていただいた方も乗っていた。同業者の経済部長も亡くなった。同じ市内に住み、双方の息子が同じ剣道場に通っていた仲だった。

 三光汽船事件に、予想もしない事故が重なって、この日以後、経済部はいくら人がいても足りない状態が続く。いずれも不幸な事件だから、たまらない。もう、あんな緊張感を味わうことはないと思うと寂しいが、あんな不幸なダブル事件は2度と味わいたくない。

 【後日談】日航機事故で亡くなった公認会計士の息子さんから、過日手紙を頂いた。父親の後を継いで立派に会計士になった事務所開きの知らせだった。事故当時はたしか小さくて、テレビゲームの前で遊んでいたことを思い出す。年月の早さを知るとともに、親子の不思議な絆を感じたことであった。
(98.12.15 追記)


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