毎日新聞に入社して退職まで約32年。うち23年を大阪経済部で過ごしました。
その間の様々な思い、哀歓を記録して「一記者の生の姿」を披露することにしました。

1969/   いざなぎ景気
1971/ 8 ドルショック
     12 $1=308円
1973/ 2 円変動相場制
     10 石油ショック
1974    狂乱物価
1975/ 2 完全失業者100万人
1976/ 2 ロッキード事件発覚
1977/10 伊藤忠商事、
        安宅産業を合併
1978/10 $1=175.5円
1979/ 1 第2次石油ショック
1981/ 5 乗用車
          対米輸出自主規制
1982/ 7 トヨタ製版合併
1984/ 2 大沢商会倒産
1985/ 4 NTT,JT発足
      8 三光汽船会社更生法
      9 プラザ合意、円高へ
1986/ 4 男女雇用機会均等法
1987/ 1 東証株価2万円台に
     10 ブラックマンデー
1988/12 東証株価3万円台に
1989/ 4 消費税導入
1990/10 東証株価2万円割れ
1991/ 4 牛肉,オレンジ自由化
1992/ 8 東証株価1万4千円台
1994/ 6 $1=100円突破
1995/ 4 $1=79円台
     12 住専処理策決定
1997/ 7 東海興業、多田建設
          会社更生法申請
     11 北海道拓殖銀行破綻
        山一証券自主廃業

1)プロローグ

 昭和39年(1964年)4月、社会人の第1歩は証券会社だった。しかし、運悪くケネディ・ショックに 遭遇「銀行よ、さようなら」と奢っていた証券界は一転、不況に突入した。このままではクビになると思い、 4カ月で退職。たまたま目に入った毎日新聞の募集告知に応じ、運良く業務職でもぐりこんだ。

 最初は経理部に配属、手形、小切手、札束のお相手をしていた。3年後、管理部門から編集への大量異動が 実施され、青天の霹靂で記者になってしまった。「殺した、燃えたの社会部だと、すぐクビだな」と覚悟を決 めていたら、経済部に。以来23年間、大阪経済部に居座った。

 退職前の6年間は編集を離れて「稼げ稼げ」の営業部門に。広告局で3年過ごしたあと、平成4年(199 2年)新社屋の地下にできた貸しホール「オーバルホール」の初代支配人になった。支配人という肩書は毎日 新聞では初めてで、いかにも「もうけないと、すぐクビ」というイメージ。慣れるまで時間がかかったが、商 売の方は順調でフル回転に近い状態が続いた。

 平成8年1月、思うところあり、54歳6カ月で繰り上げ定年退職。32年のサラリーマン生活だった。


inserted by FC2 system