【アメリカ流通視察団】

 昭和56年(1981年)にヨーロッパに初めての出張取材に出かけたあと「もう順番は回ってこないかな」と思っていたら、58年、60年と1年おきにアメリカに行く機会があった。

 昭和58年10月のアメリカは、広告代理店が企画した「米国流通事情視察団」への随行取材で、団員は食品関係のスポンサーが中心だった。かなり贅沢な旅行で、一説には一人200万円くらいかかったのではないかと言われるほど、ゆったりした旅行だった。東海岸のニューヨークに始まって、ワシントン、ダラス、ラスベガス、最後は西海岸のサンフランシスコと、大陸をほぼ横断した。
(写真はゴールデンゲートブリッジで。右から5人目

 海外の流通事情にくわしい西村さんというコーディネーターの案内で、主に百貨店やスーパーを視察して回った。当時、日本でもスーパーはめずらしくなくなっていたが、「同じ商品で当店より安い店があれば返金します」とか「5品以下の方の特急の方のレジはこちら」とかの気配りを見ると「やはり本場のスーパーはすごい」と感心したものだ。

  この種の視察団は真面目な視察と遊びの割合をどう設定するかが難しいそうだ。帰ったら「特集10本くらい書いてくれる?」とデスクがこともなげに言うのがわかっている随行記者にとっては、ちょっと遊びの比率が高すぎる。そこで遊びの時間を時々失礼して、西村さんと2人で別途取材して回った。ニューヨークのトイザラスでは、広〜〜い駐車場から店舗を撮影していたら、ピストルに手をかけたガードマンがすっ飛んできて「ここの社長でも許可がないと撮影はNOだ」とすごまれたのには驚いた。事務所に入って、「毎日は日本のビッグ・ニュースペーパーだ」とかなんとか、いろいろ話していたら「そうか。そんなに大きい新聞か。まあ、コーヒーでも飲め」とご機嫌が直って、ホッとした。今でも思い出して、ニヤっと笑ってしまう。

 首都ワシントンでは、発刊後1年の「USA TODAY」紙を訪問した。20万部からスタートした同紙は「カラフルでシンプルな記事」を売り物に、全米各都市の歩道という歩道に置きまくった自動販売機を武器に、当時はもう100万部を突破していた。本社で編集された紙面は、人工衛星経由のファクシミリで全米23州にある印刷工場に送信され、あの広いアメリカでの全国紙を目指していた。案内された編集局もコンピューターのディスプレーがずらりと並ぶ、当時の日本の新聞人としては驚きの光景だった。

 ラスベガスでは、ゴルフ(写真左端が筆者)をした。手袋と帽子だけ買って、あとはすべてレンタルだが、日本でのゴルフの費用を考えるとタダみたいなものだ。その代わり一面平坦で、まさに砂漠。サボテンの玉?が風でコロコロッと転がるほどの気候だから、ハーフを回った頃には唇が乾いてしまって薬局に駆け込む羽目に。しかし、自己申告と結果の差を競う賭けは私が一番だった。 inserted by FC2 system