悩む西ドイツ−−裏と表(1)
−日本詣で、まねできぬ勤勉さ−

1981.6.11 毎日新聞より

 EC諸国歴訪に旅立った鈴木首相は最初の訪問国に西ドイツを選んだ。本来、わが国とともに自由主義経済圏を引っ張る機関車の役割を担いながら、いつの間にか“西独病”に犯されて苦闘中の同国。その立て直しは、自由貿易の永続を頼りとするわが国にとって友邦の復活でもあるからだ。西独病の病理はどこにあり、その治療のために同国は何をしようとしているのか。悩む西ドイツの裏と表をミクロの視点から追ってみた。(中出眞澄記者)

 ことし4月、RKW(ドイツ合理化本部)のリューレ博士を団長とする「トップ・マネジメント視察団」の一行15人が日本生産性本部の招きで来日、日産自動車、小松製作所、松下電器など各地の大手企業の工場を見て回った。技術、経営管理、労働問題など日本企業のたくましい国際競争力の秘密を探るのが目的だった。
 この視察団に参加、日本企業のしたたかさに舌を巻いて帰ってきた2人の団員に、ハンブルクで成果のほどを聞いた。
 O・リッター氏。昨年まで米国の大手石油会社、テキサコ社の常勤役員会議長をつとめていたが、いまは引退し大所高所から経営問題の研究に打ち込む悠々自適の身。同氏は「ハンブルクで一番美しい屋敷だ」と自慢する郊外の自宅に私を招き、まだ興奮のさめやらぬ表情で約1カ月前の体験記を語ってくれた。
 リッター氏が訪日団に参加する気になったのは「日本の活躍のあおりで欧州諸国が困難に遭遇している。その実情を調査してやろう」との興味から。そして日本で見たものは「特有の社会の上に成り立っている、きわめて団結力のある社会」であった。官民協力もうまくいっているし、経営者と労働者の協調も驚異と感じるほどうまくいっている。そして「工場にチリ一つ落ちていないのは、お客さんが来るから掃除したのではなく、いつもそうなのだと聞いて信じられない思いだった」と話す。さらに「技術的には先進国は大同小異。設備投資も日本だって新しい機械モアレ場、古いのもある。西独も事情は同じだ。しかし、日本は量産システムの採用と、その組織的運用のうまさとが相まって成功を勝ち得たのだろう」と分析している。
 商社を経営するO・ランゲ氏も、最も興味深かったのは「マネジャーと一体となった労働者の能率への意欲の強さだ。それに労働者が仕事は社会に属する存在そのものだと考えており、この気持ちを日本人がみんな持っていることだ」と指摘している。さらに、同氏は「技術は学べばどうにでもなる。ドイツも負けない」と胸を張りながらも、日本企業の労使一体感には「あれには、かなわない」と、カブトをぬいでみせたのだった。
 ランゲ氏は「20年前は、ドイツもエコノミック・アニマルだったし、労働は人生の一部だと、みんなが考えていた」と、昔をなつかしみながら、「西独経済の立て直し策は?」との問いには「まず、もっと働くこと。欠勤率が7%以上という現状は常識外だ。それと、ドイツ人はもっと貯蓄することだ」と、ズバリ西独経営者の本音を言ってのけた。
 両氏は日本をその目でジックリ見て、良さを良さとして率直に語っている点、恐らく日本びいきになっているのかもしれない。今回、西独を訪問して感じたのは、ドイツ人はなかなか自分たちが怠け者になったとは認めないことだった。この点、両氏は日本人のすごさを率直に語ることで、その裏返しとしてドイツ人が働かなくなったのを嘆いてみせたのだろう。
 “西独病”という言葉がすっかり定着して以来、ドイツ人の働きが相対的に悪くなったことを証拠だてる統計には不自由しなくなった。例えば、島野卓爾学習院大教授によると、1951−60年のころ59.6%だった労働分配率が第2次石油ショック直前には71.4%にハネ上がっている。今春、日経連を訪れたエッサ・BDA(全独経営者連盟)会長がドイツの労働費用の高さをボヤいてみせたが、現在7%以上という無断欠勤率も「77年には1.7%にすぎなかった」というのだから、実質労働コストの上昇は大変なものだ。
 ペール連銀総裁は「もっと働け」との批判について「(働かなくなったのは)世代の問題だと思う。一時的現象に終わって欲しい」と語っているが、レイオフがまず若年層から行われる現状から苦労して熟練工になろうとする若者が減っており「これが労働力の質の低下を招いている」(島野教授)との指摘には、ドイツ人は顔をしかめる。日本を見て日本経済成長の秘密を探っても、それをドイツ人に当てはめるわけには行かない、いらだちがそうさせるのだろう。西独経済の悩みは深い。  (つづく)

写真はケルン inserted by FC2 system